日々のメモ

2024年3月11日の投稿6件]

家庭用鉄拳3とスマブラDXは「隠しキャラどんだけ出てくるの!?」と子供心に非常にワクワクした。あとPSのドラゴンボールの格ゲー。アルティメットなんたらみたいな名前だった。
この手の喧嘩は、そこに気づいていてあえて気づかないふりして喧嘩したくてしてんのか、マジで気づいていないのかが良く分からない。が、いずれにせよ両者ブロックしたほうがタイムラインは平和になる。
「努力が出来ない人もいる」みたいな話でtwitterで喧嘩してる人達がいたけど、定義を決めず、お互いが自分の論に合うように定義をずらしながら会話をしているから話が終わらないように見えた。意図的にやってるのかしらんけど。
ちなみにその話は「出来ない」の定義がずれているようだった。「努力が出来ないと決めつけるのはその人にとっても良くないのでは」という主張の人の「出来ない」は「出来ない=0」という定義。一方で、「誰でも努力してなんでもできるわけじゃないんだよ」的な主張の人の「出来ない」は「多くの人が努力していると認めるラインの量まで出来ない」もしくは「ラインを超える努力の量があったとしても、多くの人が努力していると認めるラインの量まで努力した場合このくらいの質が伴うはずだと思われる質に届かない」ということを言っていると解釈した。両者は別に相反することを言っているわけではない。
「Aの指標が伸びている理由を分析して欲しい」というシーンにおいて、最初にやったほうが良いのは「なにをもって伸びていると言っているのかの確認」と「その上で、本当にそうなっているかの確認」の2点。ここずれてると振りだしに戻るので。
KGIから連なるピラミッドのような巨大な樹形図があるとした場合、ダッシュボードかするのは頂点の小さい▲の部分と、底辺に近いものの中からアクションとして重要なものをチョイスした個別の部分。そういうようなイメージでつくると良いものがつくれるような気がしている。
ダッシュボードで陥りやすいのは、「KGIを頂点とした上から俯瞰して全体を見ていこうとする考え」と「かなり細かいデータでないとそのデータからアクションに結び付きにくいという現実的な事実」を一緒くたにしてしまうことだと思う。前者は大事だが全社の値からは異変の兆しのようなものがかろうじて分かるかも?くらい。逆に後者だけだと点の情報だけ見て全体の大きな動きを見逃してしまうかもしれない。だからといって、後者にたどり着くような粒度までダッシュボードをつくっていくとグラフ何百個の世界になる。なので、どちらの役割をするものなのかの認識を合わせ、前者なら前者で「これは数値を把握するもので、アクションに紐づけるものではない。このダッシュボード見ててアクションが生まれる必要はない」くらいに認識合わせておいた方がよい。その上で、個別アクション用のものをつくり、そちらは逆に「この数値にこういう変化が起きたらこのアクションをとる」みたいなロボットのプログラムみたいなものを仕込みながらつくる。そっちに関して「観察用」などという言葉は許してはいけない。くらいの気持ち。