「最後の一撃は、せつない。」故に重い - ワンダと巨像

2011/06/27


アクションゲームの中で、最も重みのあった一撃は何かと考えるとワンダと巨像が思い浮かぶ。

『ワンダと巨像』は主人公の青年ワンダを操り、巨大な像と戦うアクションゲーム。独特の世界観や迫力ある巨像との戦闘で非常に評価が高い。数々のアクションゲームがある中で何故このゲームの一撃を重いと感じるのか。それは困難を乗り越えた末の一撃だったからのように思います。

主人公・ワンダは敵である巨像に対して剣を使って戦うが、攻撃は体の一部にある弱点でなければなりません。プレイヤーは弱点を探し、巨像の体をよじ登りながらそこを目指します。弱点へたどり着くまでは防戦一方の我慢の時です。 そうして弱点にたどり着くといよいよ攻撃ですがここでも我慢が必要です。攻撃は力を溜めるほど与えるダメージが高くなるのですが、巨像は主人公を振り落とそうと体を激しく動かすためしがみついて耐えなければいけません。しがみついた時点で"溜め"は解除されるため、巨像の動きが落ち着く攻撃のチャンスをじっとうかがいます。

こうした数々の困難を経てようやく振り下ろす渾身の一撃は、無双系の「一振りで多くの敵を巻き込みながら連続で攻撃する」というシステムとは真逆であり、その"重さ"を強く感じました。

では何故『ワンダと巨像』の攻撃には"重さ"が必要だったのでしょうか。それはこのゲームのキャッチコピーの1つである「最後の一撃は、せつない。」と関係してくると思います。このゲームは強烈にせつないストーリーです。ワンダが巨像と戦う理由や倒した先にある未来は明るいものではありません。 そのストーリーを支えるため、柔い光と荒廃感のある色味を使ったグラフィック、他に人がいない地というマップ構成や世界観、巨像を倒したときの演出、普段は無音で戦闘ではシーンによって切り替わる音楽といった、様々な要素があります。

そして最後に残る要素は"戦闘"です。巨大な敵との戦闘にはスリルや達成感が付きものですが、この作品ではそれと同時に"せつなさ"を表現しなくてはいけません。巨像への攻撃はプレイヤーにとって「敵に対する憎き一撃」でありながら、ストーリー上では「せつない一撃」でなくてはならなりません。それを両立させるための攻撃には、この"重さ"が必要だったのだろうと思います。


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