26年3月
ウメハラという格ゲーのレジェンドたる人がつくった「獣道」という企画がある。
年末の格闘技イベントのような、いわゆる"格闘ゲームでのコンセプトマッチ"で、事前に2人のプレイヤーに声がかかり一定の練習期間を設けた上で戦う。過去4回行われ、そのどの試合もが格ゲープレイヤー達の記憶に鮮明に残っている。
そこで負けたプレイヤーは、深くうなだれ、涙し、人によってはその格ゲーを引退してしまう。昨今では賞金1億円オーバーのカプコンカップなどの大会もあるが、そういった大会で負けたプレイヤーよりも獣道で負けたプレイヤーのほうがショックが大きく見える。それほどまでに重さのある対戦・企画が獣道であり、その重さが見ている人の心を揺さぶる。
なぜ獣道はこんなにも魅力的なのだろうか。
獣道の対戦カードはウメハラが決めているが、そのどれもが魅力的だ。
例えば小川vsまちゃぼーは、ギルティギアという格ゲーに人生を救われた小川vsギルティで世界一を取ったけれど何もなかったという発言をしたまちゃぼーという構図、お互いがお互いをよく思っていないという因縁、強力な攻めの小川(矛)vsMr最適解という名を持つ対応型のまちゃぼー(盾)、というような、何軸もの対比になっている。そしてお互いが負けられない。
獣道という企画自体、企画ありきで対戦カードを埋めるのではなく、獣道にふさわしい対戦カードができたら企画を行うと言っているだけあって、お互い仲良しで負けたら「強いっすねー」で終わるようなカードは一切無い。その対戦カードの厳選こそがまず重要なポイントだ。
獣道は勝者に賞金が出るわけではない。得られるのは栄誉のみの完全なプライドマッチ。これがまた良い。 獣道に出てくるほとんどのプレイヤーは、eスポーツという言葉が生まれる前から格ゲーをやっていたような人たちで、その人たちはそもそも格ゲーが強いことに社会的な意味なんてないときに、人生かけてプライドのみで格ゲーをやってきた人たちでもある。 それゆえに、プライドを賭けるということの重みが増す。勝者が100万円もらえるなんてことにしたらむしろ純度が下がる。プライド以外に何もかけないからこそ、一番重い。
1のコンセプトの話と絡めて面白いのは、格ゲープレイヤーたちが持つ美学だ。単純にプレイの実力だけで考えれば、世界1位と2位の試合が一番高度で見どころがある対戦カードになる。しかし、特定の相反する美学を持つプレイヤー同志であれば、それが30位vs25位でも同等以上の魅力を引き出せる。それは例えば獣道0での「自分は飛ばすに相手が飛んだら落とせば負けないという理想を掲げたオゴウ」vs「机上の空論を追いかけて戦略の幅を狭めているやつは二流という考えのクラハシ」。もちろん二人ともトッププレイヤーであるが、それ以上にお互いの持つ美学・信念というプライドがぶつかり合うのが獣道の魅力だ。
獣道の対戦カードが決まるとウメハラのYoutubeチャンネルで両者に対する情報の動画が小出しにされていく。これも当日までの期待感をものすごく上げてくれる。 それぞれのプレイヤーをよく知る周りの人が、そのプレイヤーがいかに強いかを語る内容が多く、これはグラップラー刃牙の最大トーナメントでの出場者の背景が語られシーンを読んでいるような気持ちになる。
たとえその格ゲーのタイトルに詳しくなかったり、そのプレイヤーの名前を聞いたことがなくても、このPVで予習しておけば対戦の構図がはっきりわかって当日どちらを応援しようかなんてことまで考えられるようになる。
最後に、獣道の独特の"重さ"は、はやり企画者がウメハラであることだと思う。 ある程度の長期戦でのコンセプトマッチは獣道以外でも色々とあるが、やはり重さは違う。トパンガコンセプトマッチで誰かが誰かに負けたとしても「まあそういう時もあったよね」くらいの印象にすぎないけど、獣道で誰かに負けるということは一生そのプレイヤーより下という印象を持たれかねない。 獣道3では主催者であるウメハラがときどと戦って勝ったが、もしあれに負けていたらウメハラはプロを辞めていたんじゃないかと思ってしまう。それくらい、しっかりとした格付けがされてしまう。
ここまで感じてしまうのは、ウメハラの影響力による視聴者の多さ、これまでの厳選してきたコンセプトマッチの質による獣道の"格"、なのだろう。