集計して渡したデータの行く末を意識するということ

2019/09/23


ある施策の結果が知りたいからこの値を集計して欲しい。という依頼があったとする。言われた値をそのまま出せば一応業務としては完了だが、そのデータがどう解釈されてどう使われるのかも気にした方が良い。

例えば、お金をかけた施策の費用対効果を見たい場合、必要なのは正しいCV数。しかしオーダーされたCV数の計測条件が"甘い"場合、実態より良い結果になってしまう。本当は失敗だった施策が成功という判断になった場合、自分の出した数字によって会社のコストを無駄に使う方向へミスリードすることになる。

そうなった場合の責任というのは、甘い試算をオーダーした側にあるのかもしれないが、データを扱う者というのは、そこに気づき、警鐘を鳴らすのもその役割ではないかと思う。

この、甘い試算を厳密にしていく工程というのは、基本工数が増える。依頼者が「このくらい1時間あればできるでしょ」と思ってオーダーしたものも、「そのまま出すなら確かに30分もあれば終わるんだけど、こういうことも考慮しないとダメだよね。そのためには集計が複雑になるから要件ぎめ合わせて3日は欲しい」とかになる。

これは自らの工数を自らの意思によって増やす行為であり、結構苦しい。それでもそうしようとするのは、サービスを良くしたいと思う心なのか、データを扱う者としての意地なのか。はたまた。


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