2014/02/03
感動したので本文を抜粋。こういう人にゲームをつくって欲しい。こういう人のゲームがやりたい。
“自分にとってゲームとは、"新しい世界を見せてくれる扉"だったんです。”
“初めてディレクションした『ドラッグオンドラグーン』では、「いままでにない体験をデザインしよう」ということを決めていました。”
“最悪のラスボスとは何か?いままでの快適さやお約束をすべて奪われた先になにがあるんだろうか?その思考のはてにデザインされたのが、初代『DoD』の最終面です。”
“本当の試練を、本当の苦痛を。大人がうんざりしてコントローラを投げ出すような絶望。その体験の強さこそが『DoD』の核でした。”
“初代『DoD』の後にディレクションした『ニーアレプリカント/ゲシュタルト』も似たような感じです。”
“訳のわからないゲームはどんどん減り、どこかで見たような安心感のあるデキのいいゲームで世の中は溢れ返っていますよね。そうしたアタリマエに背を向けて、のにかく僕は"変になること"に一生懸命努力していました。”
“つねに全力の誠意を込めて異常さを作る。それが僕がゲームを作るのときの心掛けでした……。"でした"←過去形です。”
“今回、『DoD3』の話をいただいたときには、すでに決まっていたことが多く、ゲームシステム関係でやれることはあまりありませんでした。また、初期に出した奇妙なプロットもボツになり、比較的"普通"の設定に着地します。”
“新作を作れる喜びに震えながらも、僕は絶望していました。”
“極端に言ってしまえば、新しい挑戦も、驚くような発明もない、そういう場所ーー。”
“だからこそ初めて気づいたことがありました。自分で自分自身に架していた"変わったことをしなければいけない"というルール”
“同じことをくり返して飽和していく様を、あれほど嫌っていた自分が、とうとう"くり返しの病"に陥っていたのです。”
“だから僕は、『DoD3』の最後で"初代『DoD』とまったく同じこと"を表現したのです。それは、新しくも衝撃的でもありません。そこにあるのは、何もできなかった自分への薄暗くてシニカルな失望感です。”
“僕は世界を変えることに失敗したのです。その滅び行く様を『DoD3』の結末としよう、そう決めたのです。”
“以上は、ゲームを作る人間が"どういうつもりでゲームを作ってるか"という話であり、お客様にはまったく関係ない話でもあります。こんなことはプレイしながらわかるはずもありませんし、知る意味もありません。ただ、何かそこにひとつ意味があるとしたら、それは、ゲームを作っている若い皆様へのメッセージになるといい、そう思います。僕はゲーム作りを20年以上続けてきましたが、けっきょく、ゲームという商品に変革をもたらすことはできませんでした。でも僕は、ゲームにはもっと大きな可能性があると信じています。誰かの人生を変えたり、世界を平和にしたり、誰かを殺したり、幸せにしたりできると思っています。次世代の若い方には、そうした新しい可能性をガリガリと切り拓いてほしい、と心の底から思うばかりです。”